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2013/12/12 井深達朗 「気づきの時」展の時に奇跡的に彼と出会い、ひたむきに絵を描く姿勢に心打たれた。 そして、彼を紹介してくれた大石さんが、長野に引っ越した。 長野にある村で、村お越しの出来そうな若者を募集した。その募集に見事受かり、この12月より職員として、定住し始めた。まだ単身赴任だが、4月まで一人で踏ん張ることを決意した。そして、それまで井深さんとの温かい関係が、必然的に遠くなることになった。井深さんにとっての大石さんは、彼が自分の世界を認めてくれて、自分の居場所を広げてくれた人だ。大石さんにとっても井深さんのことは、心残りであったと思うし、井深さんにとっても、頼りになるお兄さんが近くにいなくなることは、寂しいことだ。 僕にとっても、彼らの長野行きは、短い間の付き合いとはいえ、こんな心の広い若者がいて、年の差を超えて、素晴らしい友人の一人に加えていただけることを喜んでいた。そして、その村の村長の存在を知り、その村にも興味を持った。 その村に行ってみたいと思った。「一緒に行きませんか」と井深さんを初対面の日に誘った。「考えさせてください」と言われた。そりゃ〜そうだろ〜初めて会って、わけのわからない変なオヤジに言われてもな〜と思った。しかし、それから彼は時間の許す限り、「気づきの時」展の会場に来てくれて、その場に馴染んでいった。僕にも随分慣れて来たようだった。 1/4の奇跡の映画が終わって帰る頃、僕の顔をじっと見て「大石さんの所に一緒に行きます」と彼から言ってくれた。大石さんの奥さんのひろ子さんが、彼の向こう側に立ってその言葉を聞いて、目を赤くしているのがわかった。僕も、ひろ子さんの顔を見て、目頭が熱くなった。 そして、当日。 雪かもしれない。天気予報は、長野の飯田地方まで覆い尽くすように雪マークが付いていた。しかし、早朝の神奈川は晴天だ。彼の家の近くまで迎えに行った。お母さんも心配顔で僕たちが車で去るまで見送る。しかし、あえて、彼が一人で生きていけるように!新しい出会いと、自分の道を切り開いてほしいという願いを込めている気持がよくわかる。(帰りの車の中で、彼が言った。「お母さんは、僕が30歳までに家を出て、自分一人で生きていけるように頑張りなさい。と言います。僕はがんばります」と教えてくれた) 車に乗り込むと、早速スケッチを始める。黙々と始める。そのひたむきさが心を打つ。 そこから、少し西に行き、御殿場から河口湖を通って、中央道にでた。まだ晴天。そこから、だんだんと雲空.、重い雲。諏訪湖辺りから雪がぱらつく。「大丈夫かな?」しかし、向こうには十戒のごとく雲が割れ、光が差し込んでくる。道は険しいけど、きっとこの先には光が差し込む。彼の進む道を暗示しているような気がした。 中1で不登校になったという。彼の今までは、僕たちには想像出来ない程の出来事があっただろう。そして、ご両親は、どれだけ、悩み、考えてきたのだろう。それでも、彼の力を信じて、こうして彼を育て上げたご両親に脱帽する。 飯田線の線路を渡る時、「山下清は、線路を歩いて行ったんですよね」「山下清、好き?」「はい」「山下清みたいになりたいの?」「はい」井深達朗は、現代の山下清なのかもしれない。 ひたむきに描く。どこでも、描く。目の前に現れた風景を描き、そして、目の前に現れた人を描く。「描いてもいいですか?」言われた人は、「あっはい。はい。」今まで仕事が忙しかったり、何かにおわれている人でも、このひと時を井深さんと共有する。そして、その時間は、自分の生きている意味、自分の大切だったことを、思い出す。「あと、もう少しいいですか?」「いいですよ」そして誰もが、今を感じる。今このひと時を幸せに感じる。 「大石さんの家に僕の彫った仏像があります。見てください」彼は木彫もやるのか?そして、見た。 僕は、彼の絵を見た時と同様に衝撃を受けた。顔がいいのだ。やさしく、おおきく、慈愛に満ちた顔。この子のどこにこんな心がひそんでいるのだろう? 帰りに我が家に寄ってもらった。僕の作品を見たり、写真を見て、「僕にも手伝わせてください」と言われた。「手伝うことはないかも知れないけど、いつでも、来てください」と答えた。 彼との旅は一旦終わった。 昨日、息子が来た。「どうして、ココを小嶋伸が、やらなきゃならないの?充分今までの世界を貫けば、人に伝わるんじゃないの?」と言われた。成長したな〜と正直思った。親の体調や、経済的なことを心配してくれているのだ。40歳くらいまで、自分の親から心配され、この歳になったら子供から、心配される。 息子達に言う。「大きな意味で、僕が今やっていることや、感じていることは、自分にとって必要なことなのだ。いつまでもそこに留まってはいられないし、前に行かなければ、死んだも同然なのだ。僕のアンテナと今君が立てているアンテナとは、ちょっと周波数が違うだけ。子供や社会に迷惑を掛けないで生きていくことは難しいだろう。生きていくのは、少なからず誰かに迷惑を掛けるものなのだと思う。君たちや君たちの 子供がこれから生きて行く上で、微力だけど、僕は少しでも生きやすい社会や、自由な社会を繋げていきたいと思っている。きっと、そのうち、僕のアンテナと君のアンテナが合う時が来るだろう。その時でいいんだ。僕の子供だから、きっと合う時が来る。僕は今がいいんだ。」 |
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