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2011/6/24 原発はいらない会 とうとう、この町で会を発足してしまった。6月13日に市議会を見に来てほしいと、放射能のことやるからと露木さんに言われ、傍聴しに行った。「市では、小中学校の校庭の放射能を測定しないのか?」「する考えはない。県の方針に委ねる」との一点張り。そんなバカな!とつい騒いだら、傍聴席は御静粛に!ときた。もっと、ダメなのは、机に突っ伏して、眠ってる議員が何人かいたり、どこからともなく聞こえる冷笑にも似た声とヤジを飛ばす議員。傍聴席の僕達を共産党員とでも思ったのか?冷たい視線。市長に至っては、まだ応答の時間があるにも関わらず、時計を見ながら、やり過ごすという卑怯な手段をとった。この町どうなってるの?って、ホントに思ったし、ダメだ!て腹が立った! それから、露木議員が家に来て、会を立ち上げてほしいって頼まれた。しかし、政争の具に使われるのは、ごめんだ!しかし、露木さん一人で、この町で闘わせるのは、もっと可哀想だと思った。19日に小田原の「原発をどう乗り越えるか」というシンポジウムに行った。飯館村や川内村に住んでいた人や、いまだに住んでいる人を呼んでの講演会だ。話している最中に講演者が感極まり、泣いてしまった。聞いている側も涙が止まらなかった。今、この国の原発を止めるという議論ではない。この地球で原発をなくさないといけないと本当に思った。 その後、丹沢アートの事務局の連中と会い、「こういう会を考えている」と相談した。「賛同する」という言葉を貰った。やってみるか〜と想い24日に第一回目の集会を開いた。会の名前も何も決まっていなかったが、15人の人達が参加してくれた。 一人一人、自己紹介と原発に対する思いを語ってくれた。女性の中で、現実に体に異変が起きていることを語ってくれた人もいたり、鍼灸院の人は、そういう患者が日増しに増えていると語ってくれた。家の庭のタンポポの葉っぱが異常に大きいと心配する人。この国にこんなに原発があることさえ知らなかったと語る人。畑をやっているが、この作物の汚染度が知りたいと語る人。この町でこういう会が出来たことが嬉しいと語る人。声高に反原発を唱うのではなく、悩んでいる人や、困っている人に寄り添える会にしたいと思った。そして、原発がなくなるまで、この会を続けていくことが大切だと思った。 個人個人の話を聞くだけで、ほとんどの時間を費やしてしまったので、会の正式な名称も決まらずに終わってしまった。第二回の集会の日程も決まった。ガイガーカウンターも注文したので、測定してほしいという所に出向いて、測定するシステムも作らなければならないし、アンケートもとりたいし、賛同者もこれから日増しに増えるだろう。やることが山のように出来てしまった。 今回は、この会の存在を知って、訪ねてきてくれた27歳の男子。33歳の芸術家と、若い人も参加してくれた。何か出来るかも知れないって、思った。
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