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2004/1/9
難破船

僕が小学5年から高校3年まで住んでいた家はもう壊されてありません。6年くらい前に家族旅行の途中で立ち寄った時には確かにあったのですが・・・。子供たちはその朽ちた感じの家を見て固まっていました。そして「きたねえ〜」「びんぼ〜」「すんげ〜」とか言いたいことを言っていました。(でも今住んでいる家だって大して違いはないけど!)その家のあった場所は今は車の駐車場になっていました。それも2台ぐらいしか止められない小さな駐車場です。こんな小さな敷地の中で家族が生活して人生のドラマを創っていたのかと思うと、せつなくなってきます。親父はもう一度仕切直そうとしてここで建築士の嘘っぽい看板を掲げ、お袋は何とか生活が安定しないものかと必死に働き・・・僕の大好きだった大きい婆さんもこの家に越してすぐに一階の三畳の板の間で死んでいきました。まるで難破船のような家を家族全員で舟を漕ぐように岸に着けようとしていたのかも知れません。でも結局、舟は岸に着くことはなく、僕が高校を卒業と同時に家族バラバラになりました。



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