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2012/9/15

夜中、福島からの帰りに友人の車と2台で走行中に、僕は彼の車は新車なので、彼に先導してもらっていた。しかし、相馬から飯館を抜けて、東北道の二本松に抜けるはずが、常磐道方面に行ってしまい、浪江の手前で気がついた。先には行けない。それから、今度は僕が先導するのだが、気がついたら、ダムの手前で通行止め.また、かなりの距離を戻って、やっと飯館の山越えをして二本松に出る事ができた。

その時、思ったけど、常磐道が通じていれば、東京から2時間3時間で行けた所。結局大きくまわって、山越えしなければならない。これは、政府にとってはもってこいの条件なのかも知れない.福島の情報や、状態を伝わりにくくするにはもってこいなんだって思う。それは、あまりにもうがった見方かも知らないが、そういうこともこの国の歴史にいつも一役買うものである。

除染などの仕事は、かなり過酷な作業だ。そして、大手ゼネコンが元締めで人を雇う。軍曹のような小隊長には、地元のやくざを配備する。除染などで倒れた者は、事を荒げないように葬られるのかも知れない。かなり高い線量の所での作業は、線量計を個々に付けるというが、役には立たない。というか、役はは立てない。声の大きな地元の人間にはお金がバラまかれる。もうこの福島で補償金やらで、お金の流れを誰一人掌握できている人間がいないし、その機関もない。ただただ、お金の分捕り合戦。

こんな話を聞いた。働くと補償額を減らされるので、仕事には行けない。やることがないから、パチンコに行く。パチンコ屋がまた増えた。そんな大人を尻目に「こんな大人になりたくない」と子供は思うが、「じゃあどうすればいいの?」って思う。いっこうに下がらない除染作業に行けばいいの?パチンコに行く人が悪いわけじゃない。すべてが、そういうスパイラルなのだから仕方ない。誰も悪くはない。やくざもんだって、東電で働いてる人だって、みんな生きていくことに必死なのだ。

すべてが、この隔離された福島国で行われている。

湘南ナンバーで見るからによそ者の僕が車から降りると、キツい視線を感じる時が何回もあった。友人の映像作家諸沢君は取材の中で若い世代は「自分達の電気のために俺達の生活は無茶苦茶になった。何十年も原発の恩恵受けて今更、国会前でなにをしてるの?」「被災者と呼ぶな!」「原発いらないっていうけど、まだむき出しのままそこにはあるんだ」一つ一つが胸に突き刺さる。

ネコマチッタがどれだけのものなのか?僕は、この福島で生き抜く人のために何か本当に役に立つ映画を創ったのだろうか?僕は上映会やら何やらで、この映画を100回以上観ている。だけど、1回見た福島の方がより鮮烈で心を動かされた。そして、この映画のおかげ?で新聞に登場したのは、1誌2誌どころではない。多分、20誌ぐらいの新聞には、僕の顔写真と一緒に大きく載せてもらっている。諸沢君のインタビューで「地元の高校生に何か一言」って言われて、「何も言えない」って答えるのが精一杯だった。「そして、こんな大変なことが起きている中,自分が活かされていることに対して、感謝するしかない」とやっと答えられた。

まだまだ、このことは続く。僕の生きている間は続く。その間、人々の気持ちをえぐり、ギスギスした事柄は絶え間なく人々の中に居座っていくのだろうか?

僕は、このことを胸に仕事に戻ろう。僕には戻れる場所がある。それが、僕の仕事だ。木を削ろう。

 

 

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