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2012/8/30 広島アニメーションフェスティバル この会に参加して、自分がアニメーションのことをまったく知らないことを痛感した。主催者のおばちゃんに電話をもらって、それが、どんな人かも知らずに行こう!と思った。まあ〜これも勉強と思って、高い旅費を使っての参加。他スタッフ3人は、長年この世界にいて、この世界の巨匠なんかと話したり、交流出来たことにホントに嬉しそうだった。 僕は、名前も知らないし、自分がアニメーションを目指してやってきたわけではないことを、改めてわかった。僕は、僕の思っていることを表現したいだけなのだと思った。アニメの世界的巨匠を目の前に紹介されても、何ら感激しないのは、そういうことなんだろうなとも感じた。それが、よくわかっただけでも、ここに来た意味があった。 広島は原爆を受け、痛みを知った町である。この町でネコマチッタを上映することは、本当に感慨深いものがある。しかし。ここは、アニメーションの居城なのだ。その中身の言わんとすることは。ある意味関係がなく、いかに、アニメーションを撮るかということが、話題の中心になる。僕の今までやってきたことは、このアニメーションお宅達には、まったく関係のないことなのかも知れない。 それと、主催側から、この広島で震災以降初めての会なのに、福島のメッセージがあっていいはずなのに、何もないことに愕然とする。そして、選ばれた受賞作の程度の低さにもう一度愕然。愛と平和がこの会の主旨と聞いている。僕のようなLove&Peaceをまっとうに生きてきた人間にとっては、ある意味、この会の不毛を感じた。主催者側が選んだ作品に心打つ作品がないことにガッカリである。ただ、技術的にクリアーしている作品だけが、受賞の対象になるのだろうか。今までの受賞した作品はどうかわからないが、今回観た作品は、内容が暗く、血、憎しみ、死、暴力がやたらと出てくる。愛と平和を語れるものでは、決してない。結局、意識の高い作品を認めてもらうには、技術的にも最高のものでないと、ここでは通用しないのであろう。 それと。いろんな所で見え隠れするのは、マネーなんだろうね。アニメはアートだけど、ある意味産業なんだな。その辺の意識を高く持って、ぶれない人がこの会を運営していくことを希望する。 まあ〜僕は、スタッフのことやいろんなことを考えて、賞を取りたいと思っていたことがる。今は、スタッフには申し訳ないことかもしれないが、思わなくなってしまった。小さな上映会を回り、その地で、何とか原発を止めたいと頑張っている人や、このネコマチッタを観て泣いてくれる人に会えることの方が、どれだけ価値のあることだろうか?僕はこういう生き方の方が好きだ。華やかな世界に躍り出るよりも、ちっぽけかも知れないけど、応援してくれる人達の方が、なんかまともな気がしてならない。 界と名の着く所には、怪物がいるから気をつけろって、僕の師匠はよく言っていた。個人個人は、愛と平和を求めているのかも知れないが、それが、界になるとまったく違ったものになるのかもしれない。 でも、いろいろなことわかって良かった。僕、間違えてアニメータになる所だった。僕には、まだまだやることがあるのだ。この界に止まらないよ。窮屈だもん。もっと自由が好きだ。大きな扉は重いんだね。そして、その分開いた世界は大きいな。
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