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2011/10/25 木下黄太 近くの町で彼の講演があり、その帰りに近所の知り合いが。夜座談会を企画。僕たちを呼んでくれた。今、時の人であることは、間違いないと思うが、お疲れモードなのかな?それよりも、この座談会の場所がすごい家。庄屋みたいな大きな家。昔、維新の頃、全国を黒船がやってきたことを、伝えた浪士がいたんだろうけど、それと似ているのかも知れないって一瞬思った。その地方の武士や、浪人、町人、百姓が、嘘かホントか、とにかく話を聞きに来たって構図。 彼の話は、終止,食品の放射能の危険.瓦礫の危険、生きて行く事の危険な話。彼が「今、何も言わない研究者や、学者,政治家、この先,百人の子供が死んだら、やっぱりそういうことになると、前から危険だって思っていたんです。って、その時に話をごまかし、こちら側に身を翻すだろう」というようなことを、言っておられた。こういう危険という話の危険なことは、知らず知らずのうちに、危険なことが本当に起きてしまうことを、心の中で願ってしまうことってことなんじゃないだろうか?もちろん、そんな意図はないだろうけどね。 そういう、思念で、この地球は、動いているんだって思う。小出助教が、原発の危険を語るのと、木下さんが、放射能の危険を語るのとは、まったく違うと思う。やはり、ジャーナリズムの限界はある訳で、その限界を超えてしまうと、虚しさを感じるのは、仕方のない所である。 そんな帰り、車で5人で帰ってきたけど、露順が、携帯にメールを設定してもらったって話「やっと、メール打てるようになったじゃん。アドレス、教えてよ」「なんだっけな?どうすればいいか、わからないんだよ」「そりゃダメだ」危険な話の後は、バカな話が面白い。やっぱし、露順は、地方の下級武士で,ワシは傘張り浪人ってところか?さあ〜今日は傘でも張るかのう。その前に、近所の浪人の耕す畑の放射能を測りに行ってくるか〜
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